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空気を読まない芸術

February 2024
西日本新聞社久留米総局長 植田 祐一

昨年末、朝日新聞の読書欄が目に留まった。同紙の書評委員19人が「今年の3冊」を紹介する特集で、美術家の横尾忠則氏もその1人だった。「無用の効用」(ヌッチョ・オルディネ著、河出書房新社)など自薦の3冊を挙げた横尾氏は記事で、本題の書評をさっさと放棄し、独自の芸術論を展開する。

「芸術は何の役にも立たない『無用の長物』である。また芸術には目的というものがない。さらに完成というものがない。人生が未完であるように芸術も未完である。人のため、世のため、なんて言って行動しているものは全て偽善的に聞こえる」

皮肉たっぷりの表現に、芸術に懸ける情熱がうかがえる。「無用の長物」とは、芸術を卑下したものでも、読者を挑発したものでもあるまい。「役に立つ」という世俗の価値観や評価軸、さらには自我への執着からあえて自分を突き放す。老境を迎えた近年、脱力と無意識から生み出される計算外の芸術に可能性を見いだそうとする横尾氏の、強烈な自負心を垣間見た。

「空気」を読まない芸術―。真っ先に思い浮かぶのは岡本太郎氏である。目ん玉をひん剥き「芸術は爆発だ!」と叫ぶテレビCMを見たのは小学生の頃だった。長らく奇人としか思っていなかったが、たまたま著作を手に取る機会があり、人生観を大きく揺さぶられた。

「人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる」

岡本氏の著書「自分の中に毒を持て」(青春文庫)は、こんな書き出しで始まる。出合ったのは20年近く前、東京報道部で政治取材に追われていた頃だった。以来、自分が弱った時に読み返す「人生の1冊」となった。

昨年夏に久留米に着任し、内野博夫会長をはじめ久留米連文のみなさんと懇談の機会をいただいた。もとより文化芸術分野は全くの門外漢。ただ、興味深かったのは、ある方が漏らした「嘆き」が、岡本氏の著書に出てくる中身とほぼ同じだったことだ。

「小学校の1〜2年生ごろまでは、みんな奔放な絵を描く。下手くそだろうがかまわず描いている。そこにはおもしろさやハツラツとした自由闊達な気力がある。ところが3年生ぐらいになると、だんだんと絵が写実的になってくる。自分の外の世界を意識するようになるからだ。まわりの眼を気にするようになるし、うまく描こうとするようになる。すると途端に絵がつまらなくなる」(「自分の中に孤独を抱け」87ページ)

大人も子どもも関係なく、「いのちがパッとひらく」ような芸術が息づく。久留米がそんな街になったらいいな、と夢想する。




広報委員会